異世界日記 『第四部 見習い日記学舎編』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ■本家サイト作者ブログはつせの世界メール

2004-05-24

異世界到来初日(実際には二日目)の就寝は、客観的に見てかなりマヌケな光景であったと思う。

しこたま飲んだ酒の力で限りなくハッピーな気分になったオレは、どうやら元の世界と同じ酔態を演じて寝室に放り込まれたようだ。

ようだ。というのは、記憶があまり定かでないからだ。

以前から自分の酔態については同僚などにいろいろ訊いていたが、今回も寝かしつけ役のスカアハに説教されたのをかすかに覚えていた。

曰く「そなたの言葉は美辞麗句ばかりで実がない」

曰く「見境無く女を口説くな」

曰く「そなたの母親の顔が見てみたいものだ」

などなど。

これまでの経験からすると、歯の根が浮くどころか顎まで落ちるような褒め言葉で女性を賛美し、甘い愛の言葉をささやいたのだろう。手当たり次第に。

いままでオレが言ったらしい台詞はいくつか証言を聴いている。

「あなたの瞳の輝きを前にしては百万の花も色を失うだろう。」

とか

「あなたの唇からこぼれる響き一つが、私の虚ろな心を満たして楽園に変えてしまう。」

だとか。

早い話が、酔っぱらったオレは悪質な口説き魔に変わるらしい。

しかも、記憶はほとんど無い。

以前の職場では、男から嗤われ女からは避けられる元になったものだ。

とにかく、それについて説教され寝かしつけられたオレは、スカアハに再度口説き掛かり、顔を赤くして激昂した姉御に頭をひっぱたかれた。

「そ、そなたには金輪際酒は飲まさぬ故、よ、よう心得ておけ!」

姐さんが足音高く出て行った後、オレは眠りに落ちた。


夜中の3時頃だろうか。

まだ明け方にもならない夜中にオレは目が覚めた。

酷く喉が渇いていたので、部屋から廊下に迷い出た。

頭痛が酷いが、とりあえず冷たい水を一杯飲みたい。5分ほどウロウロしていると、いくつかの棟に囲まれた中庭に出た。

庭の中央には、湧水が絶えず流れている泉があった。

手を浸けてみるとひんやりと冷たい。

手で汲んで一口含むと、美味い清水だった。

遠慮せずにたっぷり飲み下す。

ふと、手の中に汲んだ水に白い光が映っているのに気が付いた。

小さな水面に映る銀の円盤。見上げれば恐ろしいほどに冴え冴えとした白銀の満月。

あの、数日前に見た帰宅路の満月。

オレの世界のそれとなんにも変わらない月が見下ろしていた。

そういえば、この世界に来て初めて一人の時間が出来た。

自然とほんの数日前の、そして永遠に帰れない日々を思い出す。

父や母、妹、友人達。オレという人間の心の一部であった人たち。

もう、二度と会うことはない。

そう思うと、何とはなしに胸から熱いモノがこみ上げてくる。

異境の寂しさ、望郷の念、そういったものなのかは自分でも判らない。

どちらかというと、そういう未練はオレの中には無かったはずだ。

繰り返す日常。

退屈で、見るべき夢も満たすべき渇望も実現するべき理想もない、ただ心をヤスリで削られるような日常。

そういったものを、オレは渋々ながらも受け入れていたが、本音ではそこからの離脱を心の底で望んでいたはずなのに。

それでも、突然の別れ、いや、別れさえも出来なかったことが、オレの中の何かを涙にして湧き出させていた。

自分でも止められない嗚咽が喉元から漏れる。

そんなどうしようもない感情に揺さぶられているオレの頭に、何か柔らかいものが載せられた。首筋にかけて、なだめるようにゆっくりと撫でてくれる。

「そなたが余計なことを考えぬように、なるべく忙しくさせていたのだがな。」

柔らかいアルト。

「……スカアハ。」

月明かりに照らされた白皙の人ならぬ美貌は、どこか辛そうで、どこか優しげな表情だった。

「お、オレ。別にここに連れてこられたのが嫌なワケじゃないんだ。だけど……」

「無理に言葉にせずとも良い。ただ、慣れて受け入れるしかないのだから。」

柔らかで、どこかひんやりとした手がオレの頭をなでつける度に、止めどのない感情が溢れ出していく。

静かに腰を下ろした女神は、何も言わずにオレの頭を膝に抱えるとただゆっくりと撫で続けた。