異世界日記 『第四部 見習い日記学舎編』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ■本家サイト作者ブログはつせの世界メール

2007-04-14

「ふぐっ……むぐっ……」

右手に持った手ぬぐいで口を塞ぎ、左腕は首を締め上げる。形としてはプロレスのハーフネルソン状態に組み付いて、槍を握った右腕の自由も奪う

歩哨は腕を振り払おうとじたばたと抗うが、体格でも膂力でも勝るオレに敵うはずもない。

なるたけ人殺しはしたくないと思っている、と言うよりも、まだ人を殺めるだけの度胸がないと言うべきだろうか。ともかくも、この歩哨の命を奪わずに無力化するためには、脳への血流を停めて失神させるしかない。

一応、うろ覚えの柔道知識を活用して頸動脈を狙って絞めているはずなのだが、どうもサッパリ落ちる様子がない。それどころか、暴れる力が強まるばかりでいつ声を上げられるかと気が気でない。

さらに言えば、組み付いた瞬間からコイツの強烈な臭いが鼻を突いて、どうにも堪らない。

モジャモジャと絡み合って鳥の巣のようになった髪からは、とにかく酷い臭気が漂っている。汗、垢、ほこりは言うに及ばず、肉を調理した油の臭いや、薪の煙の臭い、あるいはなんだかわから無いが牛乳を拭いた雑巾のような臭いまで混じっている。

「むごっ!ふごっ!」

さらに暴れる力が強くなり、男の頭上に上げられた左腕が、オレの顔を掠めて髪に引っかかる。

『ええいっ!大人しくしろ!』

と思わず声を上げるが、まだレー魔術が効いているのか、音にはならない。

……そう言えば、レー魔術にも時間制限があったっけ。

『こんにゃろう、いい加減に落ちろっ!』

焦って腕の締め付けを強くする。その瞬間、歩哨の男も大きく足下の地面を蹴った。一瞬、宙づりになったその体は、腕の位置が変わった瞬間にビクリと硬直し、数秒震えていたがもう一度痙攣すると腕から力が抜けてだらりと垂れ下がった。

用心しいしい口元の布を外して呼吸を確認すると、一応呼吸はしていた。やっとこ落ちてくれたらしい。

ため息一つついて、悪臭博覧会のような男の体を下に下ろすと、すぐ側にマウルさんがやって来ていた。

オレと目が合うと、ニヤリと笑ったマウルさんは、口を開いて何かを言った。正確には分からないが、仕草からして縛り上げようと言うことのようだ。その手のロープを見れば一目瞭然ではあるが。

オレから歩哨の体を受け取ると、マウルさんは実に手早く両手両足を縛り上げ、その二カ所をさらに結びつけてエビぞりに固定した。口には猿轡も忘れない。実に見事な手並みである。

「おおー。」

小さく上げた感嘆の声が音となって伝わった。。どうやら「49呼吸の間」という魔術の効果時間が終わったのだろう。

セタンタ様、少し手間取りましたな。」

マウルさんの声音には特に責めるような様子はないが、手際の悪さは自覚しているので恐縮してしまう。

「面目ない。」

「いや、首尾良く見張りを黙らせたことで、ひとまず良しとしましょう。」

軽く頭を下げて謝ると、マウルさんは目元の皺を深くして苦笑した。


護符を使ってホーサに連絡を取ると、離れて控えていた二人が馬を牽きながらやってくる。

「段取り通り、私が無法者達の注意を惹きます。その間に、セタンタ様は左から回り込んで、奥の見張りを倒してください。場所はあそこです。」

丁度、見張りがいた場所は軽く小高くなっているようで、茂みの間から炬火がいくつか見える。

片方は200ヤード(約183m)ほども先だろうか。遠目にも、かなり大きなたき火と、それを囲む人の姿がちらほら見える。恐らく、無法者の主隊だろう。

もう一方は、その奥手にある崖下に見える篝火だ。距離的には300ヤード(274m)以上だろうか。あまりハッキリとは見えないが、恐らくそこに牢の見張りが居るはずだ。

「ところで、次は一人で進まねばなりませんが、大丈夫ですかな。」

「ああ。何とかしてみせるよ。レーも一緒だしな。」

場所を確認して、マウルさんに頷いてみせる。

見上げるようにオレと視線を合わせると、マウルさんは少し真剣な表情で念を押した。

「いざとなったら躊躇ってはいけませんぞ。無法者の命は、決してセタンタ様や女神様の民の命と釣り合う物ではありません。」

その眼光の鋭さに、どうやらこちらの心もちなど端から見透かされていたのを感じて、気恥ずかしいやら腹立たしいやら。

だが、確かに指摘されたとおりではある。自分だけでなく、無法者達に囚われた人たちの命も掛かっているのだ。

「……分かったよ。いざとなったら躊躇しない。」

全て納得したわけではないが、ここは腹を据えねばならないだろう。世界が野蛮と暴力の巷である以上は、甘っちょろいきれい事をいつまでも言っていられるわけではないのだ。