異世界日記 『第四部 見習い日記学舎編』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ■本家サイト作者ブログはつせの世界メール

2007-05-02

逸る気持ちを抑えて、オレは洞穴の前に立った。

牢と目されたその横穴の入り口には、粗末な木組みの格子が嵌め込まれている。

揺らめく松明の明かりが微かに洞穴の中に光を投げかけているが、その光は暗がりの中にすぐに消えてしまい、奥の様子は今ひとつ良く分からない。

しかし、聞き耳を立てると僅かに人の息づかいや衣擦れの音が聞こえてくる。どうやら、中に誰か人らしき存在がいるのは間違いないようだ。

「おーい!中にいるのは誰だ!?」

声を掛けると、中の複数の人物が息をのむ様子が聞き取れた。張りつめた沈黙が帰ってくる。

どう声を掛けたものか頭の中でまとめる。落ち着いた声音に聞こえるようにゆっくりと、まずは自分の立場を告げるべきだろう。

「オレは、元赤枝の騎士・"風読み"マウルに同道してきた者でセタンタという。無法者からあんた達を取り戻しに来たんだ。」

正確な表現ではないが、一番安心して貰えそうな語彙を選んで声を掛ける。

僅かな間をおいて、洞穴の奥から呼びかけに応える声が返ってきた。

「……助けですか?」

それは、涼やかに澄んだ声音でありながら、凛とした響きで辺りの闇を払うように響いた。

それまでも、美しい声は何度か耳にしてきたはずなのだが、その声は鼓膜でなく胸のどこかを直接叩かれたかのように脳裏に届いた。

ホーサの囁くような心落ち着かせる声とも。

フィオナの轟き渡るような鬨の声とも。

ケルベロスの心弾ませる楽しげな声とも。

あるいはシグルーンの気品に満ちた声とも。

全く違う凛として存在感のあるその声は、こんな状況で聞いているにもかかわらず、なぜか揺るぐ事なき信念を持つあの影の女王にどこか似ていると感じさせた。

「は、はい。助けに来ました。」

どういう訳か、その声の主が自分よりも格上であるように感じて、オレは敬意を込めて答えを返していた。

「では、その格子を開けていただけませんか。」

「今開けます。」

二度目に掛けられたその声はオレの心臓を再び叩き、ワケも分からぬまま高鳴った鼓動に押されるように、格子をこじ開けに掛かる。

格子戸を縛る古びたロープを引っ張ってみたが、かなりしっかりと縛り上げているらしく解くのは容易ではない。もどかしくなって、腰から短剣を引き抜く。鞘から滑り出た白刃は、月明かりを青白く照り返した。

切り裂けエヴェント!!」

ダヌ神族の王から与えられた魔法の短剣に、その名の由来となった命令を与える。オレの命令に応えた刃は、一層その鋭さを増す。

どんなものでも切り裂くという短刀をこういう場面で使うのが正しいかどうか。そんな事を考えるのももどかしく右手を振り下ろすと、魔法の短剣はロープだけでなく格子の木材ごと易々と切り裂いてしまった。手応えはほんの僅かしかなく、まるで小枝でも払った程度にしか感じない。

無造作に引っ張ると、戒めを失って自由になった格子戸は軋みながら開いた。

「開けました。」

「ありがとうございます。助かりました。」

暗がりの中から足音がして、その女性が出てくる。無意識に翳した杖の穂先で、ノゾミが仄かに光を投げかけると、その人物の輪郭が足下から順に露わになった。

衣装はそれほど華美ではないが、仕立ての良いしっかりとしたものだ。

柔らかい革の靴。

丁寧な刺繍で縁取りされた萌葱色のスカートと、純白の前掛け。

白いブラウスと柔らかく胸元を覆う革の胴衣。

抜けるように白い肌と薔薇色の頬。エメラルドグリーンの瞳が美しい目元と通った鼻筋。そして小さく艶やかな唇。

華奢で可憐な容貌を、月明かりを眩く映した流れるような銀髪が彩っていた。

思わず、息を止めて彼女に見入ってしまう。

農家や商家の娘さん、といった装束でありながら、その女性はまるで地上に降りてきた月そのもののように静謐な美しさを纏っていた。

セタンタ様、と仰いましたか。私、交易商ミョイグネンの娘でオイフェと申します。助けて下さってありがとうございました。」