異世界日記 『第四部 見習い日記学舎編』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ■本家サイト作者ブログはつせの世界メール

2008-03-16

「立ちなさいシグルト!それでも貴方は英雄ですか!」

オレを見下ろしたままそう叫んだ女は、振り上げた右手でオレの顔をひっぱたいた。それも生半可な威力ではなく、網膜の中に飛び散った火花で視界が赤くなるわ、鼻の奥が血の臭いで鉄臭くなるわ、女子供なら殺せそうなくらいの破壊力であった。

「痛っ!いてーよ!」

「当たり前です!痛くしましたから!」

オレの抗議の声も空しく、胸を張った女性は良く通るソプラノで自分の行為を肯定した。

「くそー、なんでオレがそんなことしなきゃならんのだ。大体、龍退治なんて自分で何とかするか、オヤジさんにでも頼めばいいだろうに。」

ぶつくさいいながら立ち上がると、女性の頭はオレの胸元くらいに見下ろせた。

背丈は6フィート弱というところだろうか。頭上にかぶった兜から、左右一対の羽根飾りが伸びている。装束は白を基調として青のアクセントが入った軽装の甲冑姿。胸を覆う鎧は白銀で、高く乳房の形に盛り上がっている。手には7フィートほどの片手槍と丸盾。どちらも、美しく象眼が施され、神族の持ち物に相応しい。

形良く整った容貌には、意志の強そうな表情が浮かんでいる。そしてその輪郭を象る蜂蜜色の髪。

全身を通して見れば、まさに『神の娘』という形容詞を具現化したような尊貴な姿である。

万人が万人、その足下に跪いてその指示を仰ごうとするだろう。そんな威厳を前にしても、オレの場合は残念ながら崇拝の念など湧いてこない。なにしろ、この娘がまだ馬にも乗れない時分から兄貴としてその成長を見守ってきたし、その傲慢で唯我独尊で、それでも正しいと思ったことを曲げない筋金入りの正義感を知っていた。

この娘はオレの妹で戦友なのだから。

「で、シグルーンよ。」

「なんですか。」

美しく澄んだ青い瞳でオレを見上げながら、大神オーディンの娘は口元に笑みを浮かべた。どうやら、オレが初めて正面から彼女を見たことに満足したようである。

しかし、ホントに美人になったよなぁ。子供の頃からその片鱗はあったけど、こうやってマジマジと見つめると感心してしまう。

気位の高そうな態度は師匠によく似ているし、鋭く油断のない視線と身のこなし、そしていつも何か企んでいそうな悪戯っぽい口元は、それぞれ三人の姉妹弟子から影響を受けたものだろう。

まったく、実に危険そうで魅力的に育ったものである。

「まず、なんでオレの今の名前を知ってるんだ?」

「それはもちろん、調べたからです。それに、私の名前に基づいた名前と聞いて、正直に申し上げて少し嬉しゅうございましたわ。」

「あー、なんというか流れでそういうことになっちまったんだよな。」

頭を掻きつつ苦笑すると、眉を少し傾げて不機嫌を表したシグルーンは、挑むような口調で言葉を吐いた。

「あら。もし、ご不満でしたら他の高名なお名前、例えばクーフーリン、アーサー、あるいはルーグとお呼びしましょうか?」

「いやいやいやいや、勘弁してくれ。そんなの誰かに聞かれちゃ堪らん。シグルトでいいよ。」

「では、シグルト。改めて貴方に命じます。私と共にゴトランドへ赴き、邪な龍ファフニルを退治するのです。」

「待て待て待て待て!」

胸を張ってさも当然のように言い放つお嬢様に、オレは掌を突き付けて押しとどめる。

「……理由は聞かせてもらえるんだろうな。」

「簡単なことです。ファフニルは元々、小人族の細工師でした。しかし、ラインの川底で見つけた『運命の黄金』から指輪を作ると、その力で龍に姿を変えました。そして、ゴトランドの山中に盤踞し、近隣の村々を襲って悪事を重ねています。」

「それが許せないってか?」

「そうです。ゴトランドや周辺の国にも被害が出ているばかりでなく、北海を行き交う船乗りたちも脅かされています。そこで、貴方は私とともに龍を討ち滅ぼし、かつてのように王として国を啓くのです。もちろん、今度の妻の座は……」


ゴツン

頭を打ち付ける音に目を覚ますと、ベッドから転げ落ちたオレの身体は床に投げ出されていた。ひんやりとした床石の感触が気持ちいい。

セタンタ様?」

「うーん。もう朝か。」

何かとびきりビミョーな夢を見たような気がするが。顔を上げると、ちょうどバルコニー向こうに見える地平線から、夏の曙光が差し込んでくるところだった。